村田 一樹 | Kazuki Murata
ブランドアーキテクト・デザイナー / Back & Forth株式会社 代表取締役
2014年、北海道東川町を拠点にフリーランスとして独立。2020年、Back & Forth株式会社設立。「北海道の田舎でのローカルな日常」と「世界中の都市でのグローバルな刺激」を行ったり来たりするライフスタイルを送る。中でも、幸福研究とデザインの先進国であるデンマークには毎年1ヶ月程暮らし定点観測を行なっている。
そして、このライフスタイルだからこそ得られるリアルな情報や経験を活かし、デザインパートナーやブランドアーキテクトとして企業やブランドへ参画。「社内」と「社外」を行ったり来たりする独自のスタイルでブランド価値および体験価値の向上を目指す継続的なブランディングやアドバイザー業務を行っている。
さらに、「自由で美しい暮らしのデザイン」をサポートする個人向けパーソナルブランディングも行なうなど、意匠や設計といった狭義のデザインに捉われない、より豊かな社会を創造するためのデザイン活動を行なっている。
1989年(平成元年)生まれ。3歳まで北海道の留辺蘂(るべしべ)という自然豊かな田舎町で育つ。当時から、根っからの「まずやってみるマン」で、うどんを自力で強引に手づかみで食べた逸話は家族団欒が盛り上がる鉄板エピソード。その様子を収めた写真はスーパーの写真展で入賞。これが人生初の受賞歴。
その後は、札幌周辺の町を転々とし小学校時代は幾度かの転校を経験。この転校が、人生で初めて味わった「世界は広い」という感動体験となる。それは、いま属している社会(コミュニティ)が自分に合わなければ、そこからエグジットすればいい。世界は広い。自分の居場所は必ずある。と学んだ、自由で身軽であることを大切にする今に通ずる原体験。
中学時代は、学校と部活と塾に人生を縛られる最高に息苦しい時代。「大人は仕事をすればお金がもらえるのに、こちとら、こんなに頑張ってもお金すらもらえない。早く大人になりたい。」と不満を抱きながら、ホリエモンの「稼ぐが勝ち」を読み、経済ニュースを毎晩チェックする日々を過ごす。そんな中、勉強に部活にと頑張った甲斐もあり苦手な体育のみ4、その他オール5という成績を手に卒業。しかしながら、間違いなく「人生で一番戻りたくない時代」はこの3年間。
転校で学んだ、人生を好転させる一つの方法が属する社会を変えること。ということで、中学卒業と同時に地元を離れ、単身旭川へ。「地元を出たい」「制服なんて着たくない」「就職率100%」を理由に(もちろん、前提としてインターネットや家電が好きだったのだが)旭川工業高等専門学校(高専)の電気情報工学科に進学する。中学校を卒業したばかりの子供たちに、大学生並みの自主性を強要するのが高専流。その自由な環境は「まずやってみるマン」の僕にとっては最高の環境だった。一方、実際に「専門分野」を学んで分かったことがある。それは、自分の目指す道はエンジニアではないということ。このままここで学び、就職率100%のエスカレーターに乗って就職したとしても、その先に「幸せ」は見えなかった。「人生の判断を誤った」と当時の自分は本気で悩んだが、これまで信じてきた学歴社会という常識を捨てることに。この英断があったからこそ、今のワークスタイルとライフスタイルがあると言える人生の大きな転換点。
エンジニアでなければ、僕は一体何を目指すのだろう。「人生の判断を誤った」と本気で思ったからこそ、本気で自分自身と向き合った。そこで知ったのが、アートディレクター佐藤可士和さんの仕事。この時、「ブランディング」という言葉を初めて知ることになる。そして、僕の探し求めていた仕事はこれだと直感する。さらに、地方である札幌を拠点としつつもグローバルな視野とクオリティでブランディングを中心に活躍されているアートディレクター上田亮さん(COMMUNE)の仕事に憧れ、北海道でデザイナーとなりブランディンングを行うことが、新たな自分の目指す道となる。そして、旭川高専を中退し、東海大学芸術工学部くらしデザイン学科へと進学する。大学進学後はひたすらデザインをする日々を過ごし、憧れの上田亮さんの元でのインターンシップを経験するなど、自由な時間を多く持つ大学生という環境を大いに活かした。
大学3年生の時に車の免許を取得した。幼い頃から車好きだった僕は、マイカーこそ所有できなかったが、週末になるとよくレンタカーや実家の車を借りて北海道を旅してまわった。旭川からほど近い富良野や美瑛に始まり、稚内、知床、根室といった果ての地、屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖といった雄大で神秘的な湖の数々と広い北海道を駆け巡り、この土地に暮らす魅力を味わい尽くした。その中でも、その後暮らしの拠点となる東川には足しげく通った。そこで見た心ゆさぶられる美しい自然、そして地に足のついたライフスタイルに感動し、いつか「東川でデザイナーとして独立する」が目標となる。
大学生活も残り1年となった。この頃になると、これまでの頑張りもあり「デザイナーとして就職することは、就職先を選ばなければ可能だろう」と確信できるレベルにはなっていた。一方、自由な時間があるのも今年限り。社会に出てしまえば、長期間の旅なんて出来なくなる。と、当時は思い込んでいたため、時間があるうちに憧れの北欧へ旅に出ることを決める。ちょうど、大学主催の北欧研修旅行があったため最初はそれに申し込んでいたのだが、直行便を使い、ホテルに宿泊するその旅は、当時の僕にとっては「贅沢旅行」であり、そのお金があれば、経由便を使って安宿に泊まればもっと長く、そしてもっと多くの国を訪れることが可能であった。「冒険欲」に満ち溢れていた「まずやってみるマン」は、先生が引率してくれる安心快適な旅行をキャンセルし、初海外・ひとり旅の冒険を選択した。最安チケットだったロシア経由で、まずはスウェーデン・ストックホルムへ。その後は、デンマーク・コペンハーゲン、ドイツ・ベルリン、オーストリア・ウィーン、イタリア・ヴェネツィア、ミラノとヨーロッパ5カ国を北から南へ鉄道を乗り継いで18日間で縦断した。憧れのヨーロッパの美しい街並みはもちろん、そこで暮らす人々のライフスタイルに感動し、「幸せとは何か」について深く向き合い、「自由で美しい暮らしをデザインする」というライフテーマを掲げる今に繋がる原体験となった。
大学入学時から目標にしていた、「卒業研究で1位を獲得して卒業する」という目標を果たし、僕がデザイナーを志すきっかけとなった憧れの上田亮さん率いるデザインコレクティブCOMMUNEに就職。そこは非常にレベルの高い環境で、新卒の僕にとっては学びしかない厳しい環境。当時は毎日が大変だったが、尊敬するデザイナーの元、直々に指導いただけるという本当に恵まれた環境だったからこそ、2年間という短い下積み期間で憧れの「独立」を果たせることとなった。
大学生の頃に設計していたプランはこうだった。仕事の多い都市(札幌)で独立し、資金を貯め、仕事・クライアントを持って田舎(東川)に移住するというプランだ。しかしながら、ここでも「まずやってみるマン」はそのプランを白紙撤回し、お金も仕事も「何も持たない状況」のまま田舎へ移住し、独立することを選択する。それは、そんなこの上なく身軽な状況だからこそ、田舎での起業にチャレンジ出来るのでは?と気づいたから。(独立して数年、その気づきは間違っていなかったと心から実感している。)よって、大学卒業からわずか2年、24歳の時、思ったよりもあっさりと「東川でデザイナーとして独立する」という夢を形にする。
フリーランスとして独立して6年半が経った2020年12月、Back & Forth株式会社を設立。Back & Forthは「行ったり来たり」を意味し、自らのライフスタイルやワークスタイルのベースとなる「思想」を社名とした。2020年はCOVID-19が地球上の全人類を震撼させ、様々な物事が大きく変わった年。毎年訪れていたデンマークにも行くことは叶わなかったが、「人間の本質」と向き合う良い機会となった。そして、奇しくも会社を設立した2020年12月、200年続いた「土の時代」が終わり「風の時代」が始まったと言われている。不確実な時代と叫ばれて久しいが、風の時代はもっと不確実な時代になるだろう。しかし、それは土の時代の価値観に固執しているからこそ、不確実を不安に思うのだ。もともと世の中は諸行無常。むしろ風を活かしてしまえばいい。風を活かし、風に乗るためにも、固執せず、執着せず、身軽に「行ったり来たり」できることに価値があると信じている。